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「一関地方伝承芸能継承交流会」での集合写真(令和5年11月19日)
(idea 2024年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
150年以上前から伝わる「渋民伊勢神楽」を地域全体で継承していこうと、全戸を対象として平成13年8月に発足。毎年9月には渋民八幡神社で奉納するほか、地域内の拠点(各自治会館等)や当祝者宅で演舞する「地区巡業」も行う。
令和3年で団体発足20年を迎えた渋民伊勢神楽保存会。その発足経緯は、若手の有志が立ち上げた「讃互会」に遡ります。「讃互会」は、各種イベントなどを通じて大東町渋民地域の振興に取り組もうと、当時の30代~50代、30人超が昭和55年に立ち上げた団体で、「3=讃・5=互」の語呂合わせ。
「要は交流の場で、飲みにケーションを通して地域のことを語り合っているうちに『このままでは地域が衰退してしまう。盛り上げよう!』という機運が高まり発足したもの」と語るのは、同保存会顧問で、讃互会でも中心的存在だった金野鑛太郎さんです。
金野さんらは、「讃互会」を発足する数年前、地域に古くから伝承されつつも、その灯が消えかかっている複数の芸能のうち「渋民伊勢神楽」に着目。「笛演奏や舞い手が丈夫なうちに教えてもらおう」と立ち上がり、経験者から口伝えで伝授されます。讃互会が発足すると、その年の渋民八幡神社例大祭には渋民伊勢神楽を奉納。約20年ぶりに奉納復活を果たすと、さらに同年、新たな継承活動として、当時の渋民小学校(平成23年閉校)児童に指導を開始したのです。
渋民伊勢神楽は、太陽に見立てた大太鼓を、舞い手がアヤ(両端に房を付けたバチ)で祈りをこめて順番に叩き、遠くからでも伊勢神宮を参拝していることを意味する踊り(南部神楽ではない)です。
江戸時代、「お伊勢参り」が流行し、各地で「伊勢講」が結成されます。毎年5~6名が代表として伊勢神宮を参拝し、「お札」と「旅の話(お土産話)」を持ち帰る、「それは、それは、大事な役目だった」と金野さんは言います。
その道中で見た神楽を「伊勢神楽」として渋民地域に伝えた人がいるのではないかと推測されます
が、伊勢神宮に伝わるのは「伊勢大神楽」という獅子舞であり、渋民地域に伝わった伊勢神楽とは別物。「道行芸能」や別の神社の神楽を伝承したという可能性のほか、「伊勢の賑わう現地の様子を身振り手振りで舞って見せた」という説もあるのだとか。
150年程前には、小山文七郎、熊谷松治郎の指導により、今日の原型が渋民地域に定着していたとされますが、指導者不足等(徴兵、出稼ぎ、集団就職の増加など)により、伝承が途絶えかけており、そこに着目したのが金野さんたち若手の有志だったのです。
「讃互会」は20年間、伝承活動や祝宴の席で舞を披露してきましたが、会員の高齢化により平成11年に解散します。その後も元会員らが小学校での指導を継続していましたが、「渋民伊勢神楽を残していかないと、この地域には何もなくなるぞ」という不安から、どうやって継承していくべきか話し合いを重ねることに。「讃互会」の解散には、会員が一部の集落に偏っていた(一関市渋民市民センター近隣の集落を中心としていた)ことから、新しい人や若者を巻き込むことができず、会員が高齢化したという背景があります。
そこで、渋民地域全体で次の世代に繋いでいく環境を整えようと、平成13年、渋民地域の全戸を対象とする「渋民伊勢神楽保存会」が結成されたのです。初代会長には金野さん、各自治会の区域ごとに幹事2名を置き、若者や子育て世代(PTA)などにも役員に加わってもらうことで、継承の流れを確立させました。
渋民八幡神社への奉納と合わせ、同会では「地区巡業」を行い、お祝いごとのある個人宅等で神楽を舞います。コロナ禍で巡業を中止(令和2年は大人のみが神社奉納)していましたが、令和5年は復活。「4年ぶりで舞い手が集まるか心配もありましたが、事前練習にも多くの人が集まり、例大祭当日は年長児~中学生を含めた約30人で地域内の拠点や当祝者宅など17地点で演舞することができました。今の20~50代の住民は小学校の地域学習として取り組んでいたので、笛や太鼓のリズムが体に刻まれています。呼びかけで舞い手が集まったことを嬉しく思います」と語るのは現会長の佐藤幸一さん。
「受け継ぐための流れを先輩方が築き上げてくれた賜物。平成26年に伊勢神宮で舞を奉納したときのように、今の世代でもう一度、舞を奉納することができれば、さらに活動への機運も高まるのでは。これからも時代に合わせ、会員みんなで継承について考えていきたい」と今後の目標を掲げます。
こんの こうたろう
金野 鑛太郎さん
讃互会の解散後、保存会設立の発起人となり、平成13年から平成21年まで同保存会の会長を務めました。現在83歳で、渋民伊勢神楽とは50年近く向き合っています。
A.感謝 コミュニティ
さとう こういち
佐藤 幸一さん
平成13年から庶務、事務局を歴任し、平成22年から会長に。笛の演者でもあり、今後の活動主体となる青年層の仲間集めに邁進中。
A.ちょっと手間がかかるけど
大きな楽しみ 趣味
讃互会会員で建てた会館。若者の活動に感銘を受けた90代(当時)の大工が「最後の仕事に」と棟梁を志願してくれました。
「地区巡業」で撮影した記念写真等は「渋民地区文化祭」で展示後、当祝者に贈呈しています(写真は令和5年)。
舞い手の必需品「アヤ」は東山和紙で制作しています。舞い方だけでなく、小道具づくりも継承しています。別名「花バチ」。
令和5年は市や大東町のイベントや交流事業にも参加。教育委員会民俗芸能記録保存事業として記録動画も撮影しました。