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「高橋東皐俳句大会」で「はづき句会」会員と撮影した集合写真(令和元年)
(idea 2023年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
平成30年3月発足。同年11月に開催した「高橋東皐二百年祭」の実行団体として発足し、その後も「高橋東皐」の功績を語り継ぐことを目的に活動を継続。現在は事業ごとに協力者を募って活動している。
住所:一関市藤沢町藤沢字仁郷12-5 (一関市藤沢市民センター内)
TEL:090-5230-5103(事務局長・鈴木)
宝暦2年(1752年)、現在の藤沢町藤沢に生まれた高橋東皐。幼少期から勉強家で、少年時代に俳諧(俳句)を西村聴雨(現在の千厩町千厩出身)の下で、漢籍(漢文)と書道を菅原南山(現在の宮城県栗原市金成出身)の下で学びます。後に与謝蕪村※1の弟子として俳諧の腕を磨き、その才能が認められ「春星亭」の俳号を授けられます。
※1 松尾芭蕉、小林一茶とならんで江戸時代の俳諧三大巨匠の1人
春にウグイスが鳴く様子を表した「鶯の聲滑に丸く長し」など、眼前致景※2の手法が用いられるのが東皐の句の特徴で、書道では『独楽園記』『六体書』など数々の作品を揮毫し、独自の書風「東皐流」を確立。「遂志(遂げんかな志、やろうと決めたことはやり通す)」という書の通り、生涯現役を貫いた東皐は、文政2年(1819年)、「只置けばいよいよ寒し左の手」という句を遺して68歳で他界しました。
※2 「目の前にくっきりとその風景がみえるように」という意味
後世の人々の間で東皐の功績は語り継がれ、近代においては県外の俳人・書家の間でも「みちのくの蕪村」として知られるように。当地域では昭和15年にご子孫の高橋篤四氏を中心として「120回忌追善句会」を開催。以後、当時の藤沢町教育委員会や史談会、公民館等が、東皐の顕彰活動(俳句大会や識者による研究発表等)に取り組みました。
没後200年を控えた平成29年、今まで東皐の顕彰に関わってきた団体の間では「二百年祭記念事業に向け、郷土の偉人を称えるためにがんばろう」との機運が。
そこで、同町の「はづき句会」会長の菅原清信さんが中心となり、二百年祭記念事業を進めていくための団体立ち上げに向けて動き出します。
町内の各種団体に声をかけ、平成30年3月、二百年祭記念事業の実施及び、東皐の功績を学び、後世に伝えることを目的とした「高橋東皐顕彰会」が発足。藤沢町史談会の会長として東皐の生涯や俳句・遺墨について研究・講演などもしてきた及川成一さんを会長に、町内の芸術文化関係者らで記念事業開催に向けて準備を始めたのです。
記念事業は「二百年祭記念式典」のほか、俳句大会、書道展、記念講演、東皐の遺墨や研究者等の作品や資料の展示、記念誌『高橋東皐二百年祭記念誌』の発行など、地域住民にとっても東皐の生涯や功績に触れ、「藤沢の偉人」を再認識する機会となりました。
また、現在も毎年3回程行っている東皐の句碑周辺(藤沢町藤沢「館山公園」内)の整備は、二百年祭を機に始められたもので、同会と地域住民が協力して実施。東日本大震災以降倒れていた東皐研究家で俳人の室積徂春の句碑も同会役員・協力者によって移設されました。
二百年祭終了後、俳句選者の一人から「この祭典が終わって、数年のうちに活動が途絶えてしまっては顕彰会の意味がない」との助言を受け、記念事業終了後も東皐の顕彰活動を継続することに決めました。
主要事業である「高橋東皐俳句大会」は東皐が築いた俳句文化の伝承を目的に開催。令和4年度は全852句もの応募が!及川さんは「二百年祭以来、藤沢地域のみならず皆さんが東皐のこと、俳句のことに関心を持ってきている」と手応えを感じています。
「いつかは子どもたちを対象に講演をしたい(令和2年に中学生への講演を企画していたがコロナ禍で中止に)。東皐は書家としても有名なので、書道展の開催も考えています」と今後の展望を語る及川さん。「これからの藤沢地域を考えるとき、高橋東皐などの偉人はもちろん、この地域の史実や歴史背景をみんなが学ぶ必要があると思います」と続けます。
事務局長の鈴木求さんも「自主財源の確保(設立から3年間は「一関市地域おこし事業費補助金」を活用)など課題は多いですが、なにより東皐のことを語り継いでくれる後継者の育成に挑戦したいと思っています」と意気込んでいます。
令和2年には一関市立藤沢中学校へ遺墨「遂志」のレプリカを寄贈した同会。これからも次代を担う若者・子どもたちに向け、東皐のモットーであり、生き様でもあった「遂志」の心意気を伝え続けます。
おいかわ せいいち
及川 成一さん
教員を退職後、藤沢町史談会にて約10年活動し現在は顧問へ。俳句愛好家の祖父母の元で育ち、東皐の有名な句を詠みながら通学した思い出があります。
A.子弟愛、近隣愛に生きた東皐をさらに深めていきたいです
すずき もとむ
鈴木 求さん
12年前に「はづき句会」への加入を機に俳句を始め、東皐が身近な存在に。顕彰会では事務局として記念事業を進め、平成31年に事務局長に就任しました。
A.藤沢に遂志の心を教えてくれた東皐を誇りに生きる
一関市藤沢市民センターの2階ロビーに展示されている東皐の遺墨実物大レプリカ。本物は市内の個人が所有しています。
館山公園内にある東皐の句碑。研究家有志によって昭和13年に建立され「鶯の聲滑に丸く長し」の俳句が刻まれています。
令和3年、句碑がある館山公園を来訪する人のために設置した案内板。地元有志と協力し公園内外約10か所に設置しました。
二百年祭準備作業の様子。事前会議、東皐直筆の遺墨の調達、俳句・書道作品の募集など1年以上かけて準備が行われました。