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敬老会の集合写真(令和元年)
(idea 2023年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
行政区は「関が丘2区」。198世帯415人(15班体制)が暮らす。区長、監事、総務部、環境厚生部、自主防災推進部、会計部で構成され、オブザーバーとして民生児童委員、保健推進委員とも連携。
関が丘第2民区は、関が丘団地の北東側に位置します。同団地は、岩手県住宅供給公社(当時)によって昭和43年頃から造成が進められた団地で、人口5千人規模の住宅団地となる計画でした。昭和45年頃から入居者の受け入れが始まりますが、その最初の入居エリアに位置した行政区が関が丘2区です。
行政区の誕生は昭和45年頃で、行政区長の推薦を要請されたことをきっかけに同民区(≒自治会)が結成され、最大時は251世帯約850人が暮らしていたのだとか。
区長の小松原久四郎さんは、「団地には近隣市町村からも入居の応募があった。当時はお互い知らない人ばかりだったが、関が丘体育協会が企画するスポーツ大会で住民同士がコミュニケーションを取っていた」と振り返り、「スポーツ大会をきっかけに、20~40代を中心に野球部同好会やママさん・パパさんバレーなどのチームが発展的に民区内で結成され、活気に満ちていた」と笑顔で当時の様子を語ります。
しかし、現在の住民数は最大時の半分以下となり、団地完成後に開業した商店や理容店などの店舗も経営者の高齢化等の理由によって廃業し、空き家の数も増え続けています。そんな課題等から住民を守るため、同民区が力を入れるのが自主防災の取り組みです。
同民区では、防災訓練や防災セミナーのほか、80歳以上の世帯及び75歳以上の一人暮らし世帯を訪問する防災巡回訪問などを「関が丘第二民区自主防災会(以下「自主防」)」と連携し、実施しています。
自主防の会長、副会長、事務局長、情報部、避難救出救護部は民区役員が兼任し、専任防災委員は班からの選出、防災委員は班長が担う仕組みです。
自主防自体は平成21年の発足ですが、「誰が誰を支援するのか」など、有事の際の役割が確立されないまま東日本大震災が発生(平成23年)。残念ながら自主防が充分な活動をしたとは言えない状況でした。そこで平成25年、「いつ何時に、東日本大震災のような大震災が住民を襲うか分からない」と、自主防の在り方を見直すべく民区役員たちが奮起。検討を重ね、平成28年に現体制へと整えたのです。
体制の見直しと同時に行ったのが仮避難場所の設置。同民区は坂道が多く、高低差のある土地を高齢者や障がい者が指定避難所まで歩いて避難するのは困難だと考え、民区内の公園や空き地、保育園駐車場などを独自の仮避難場所(6か所)としたのです。これにより、避難者の安否を仮避難場所で確認してから指定避難所へと誘導する体制となり、「他人事ではなく、お互い様の心で支えられる体制ができた」と、自主防災推進部長の佐藤一十さんは同民区独自の自主防の仕組みを評価します。
また、平成28年には「要支援」「避難済」と表記された避難表示プレートを各戸に配布し、「要支援」のプレートが掲げられた家があれば近隣住民で避難の支援をするという仕組みも構築。さらに、緊急搬送時に救急隊員などに見せる「緊急連絡カード」も全戸に配布。かかりつけ医や病気の有無、緊急連絡先等を任意で記入する項目が設けられており、玄関や電話付近に保管するよう住民に促しています。
実は平成25年当時も区長を務めていた小松原さん(令和3年から2度目の区長)は、「最初から上手くいったわけでなく、試行錯誤と話し合いを重ね、現体制に成長してきた。日頃からの備えが、みんなの健康と安否確認の一助となっているので、これからも自主防に主力を置いていきたい」と語ります。
区長・民区役員が長期に渡って再任される状況から、民区内を4ブロックに分け、1期交代で各ブロックから輪番で選出する仕組みとしていた同民区(平成13年頃から)。近年はこの体制にも難が生じてきたため、令和3年の改選からはブロックをA・Bの2つとし、班長会議を中心に次期区長候補を選出する仕組みに修正(再構築)しました。
また、一般的に1年交代が多い班長も、負担なく続けられるよう、半年交代にしており、班長交代時には新・旧班長が揃う「班長引継会」を実施し、業務を対面で引き継いでいます(同様に役員の引継会も有り)。
わずか50年強の歴史の中で、独自の支え合いの仕組みを構築してきた同民区。様々なルーツの住民が暮らす団地民区だからこそ、「お互い様の心」で、住み良い地域を目指します。
こまつばら きゅうしろう
小松原 久四郎さん
昭和48年に同団地に移住。区長は累計4年目で、自主防災推進部長を担っていたことも。若い頃にはママさんバレー等の監督・コーチもしていました。
A.桜・スイセン・アジサイ
さとう かつぞう
佐藤 一十さん
昭和49年に同団地へ移住。同推進部長になる前は区長を2期務めました。誰よりも自主防の取り組みに力を注いでいます。
A.自主防災・見守り活動・近助づきあい
毎年10月に行う防災訓練では、実際に仮避難場所と災害本部を開設し、避難経路を再確認します(写真は平成28年)。
民区内には桜やスイセン、アジサイがキレイに咲き誇るスポットがあり、地域の宝として大切に手入れをしています。
令和4年度からポケットティッシュに仮避難場所を記載した紙を挟み込み、高齢者などへ配布。意識啓発を行っています。
住民同士の交流機会として、日帰り研修旅行などを企画。毎回20~30名の参加があります(写真は令和元年)。