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中山間事業の草刈り後の集合写真(令和6年9月)
(idea 2024年11月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
行政区は日形5区。27戸約70人が暮らす。自治会化しているが、会長、副会長、福祉担当、体育担当(2名)、防災担当の6人が役員として2年間、集落内外の各種役割を担う体制。
中神集落内にある「どうじゃ森遺跡」こと「中神遺跡」は、縄文中期から弥生前期にかけての土器等が多数採集された丘陵です。同遺跡は私有地であり、平成初頭に大規模な発掘調査が行われて以降、周辺住民は立ち入らなくなりましたが、集落住民にとっては「小さい頃みんなと行って、矢じりで弓矢を作り遊んでいた」と、思い出深い場所になっています。
舟運が活躍した時代、川港として栄えたのが七日町(藤沢町黄海)で、その対岸に位置する中神集落は商売人も移り住み、かつては道具屋や宿屋もあったとか。橋(当時はつり橋)を渡ればすぐに七日町なので、生活圏も日形側ではなく、黄海。そんな立地条件や、水害常襲地だったこともあり、「現在のような組織ができる前の祖父母の時代から、まとまりがあったらしい」と、自治会長の菅原一男さんは振り返ります。
中神集落は一関市の合併の際、規約を改めて整備する必要があり、当時推奨されていた規約例を参考に自治会化。ただ、全戸で30戸に満たない小規模集落のため、部会制などではなく、6人の役員による担当制(福祉、体育、防災)にしました。
同自治会はかつて3班体制でしたが、築堤による移転などを経て2班体制へ。今でも回覧板等は2つの経路で全戸に回していますが、現在は「班」という明確な括りを無くしています。また、以前まで班毎に役員を選出していたやり方も、家の並びで「この家からこの家まで」と6戸を決め(2年毎の輪番) 、その中で各種役員を振り分ける形へと変化していきました。
自治会副会長の菅原憲行さんは「班がない方が、以前よりまとまって話をするかも。輪番制の役員も、隣近所同士だからやりやすいし、大変さをみんなで分かち合っている感じ」と、現在の仕組みが同自治会に馴染んでいる様子を語ります。
同自治会の高齢化率は50%を超えていますが、その背景には、今の60代後半世代が家に残り、家で両親を見ている=同居率が高いという地域性があります。そのため、各家や隣近所の「支え合い」がしっかり機能しており、移動販売車も来ることなどから、「のんびりと暮らすには大きな問題はない」と一男さん。
しかし、転出した次の世代が故郷に戻ってくる見込みを尋ねると「戻ってくる動機がなくなってしまった」と、首を横に振ります。
日形地域は地域全体で基盤整備が行われ、平成25年に面工事が完了し、現在は担い手の方々が農地を耕作。農地は守られた反面、「基盤整備の時には活発に夢を語ったが、いざ仕組みが出来上がったら、勤めに出ているわけではない人にとっては、これまでの仕事を取り上げられた感じ。農業の話は『共通の話題』として日常のコミュニケーションの一つだったが、それがなくなってしまった」と、予想外の現実に直面。
「戻ってきても役目がない以上、次の世代がここに戻ってくる意味が何なのか分からない」と、憲行さんは寂しい表情を見せ、息子が残っている一男さんも「同世代がいないと、地域にも出てきにくい」と今後への不安をのぞかせます。
そうした現状から「『攻め』の事業はない。『守り』の事業だけ」と苦笑いを見せる二人ですが、同集落では自治会発足前から様々な交流事業を行っていました。昭和39年開催の東京オリンピックをきっかけに、毎年10月10日に行っていたのが、集落総出の運動会。一反歩程の田んぼを会場に、万国旗を張り、女性陣は赤飯を作るなど、集落の一大イベントでした(同日に「瀬古利彦杯」が行われるようになり、廃止)。
その後、「世代間交流」として、集落全員でBBQや花火などを行っていた時期もありましたが、小学生がいなくなったことやコロナ禍も相まって、ここ数年、交流事業は年祝いも兼ねた新年会のみに。そこで、今年は代替事業として「秋祭り」を行う方向で検討しています。
築堤が最も遅かった集落であり、度重なる水害と闘いながら、住民のつながりを強めてきた同集落。「この地に住み続ける意味」が見出せないという現実に対し、かつて遊んだ遺跡の記憶や運動会のように、「秋祭り」が「共通の話題」「共通の思い出」となって、何かしらのきっかけが見えてくるかもしれません。
すがわら かずお
菅原 一男さん
1期1年目(役員は通算3巡目)。趣味は釣りですが、目の前の北上川ではなく「渓流釣り」が専門とのこと。
A.和
すがわら のりゆき
菅原 憲行さん
1期1年目(役員は通算3巡目)。趣味は野菜づくりで、現在は中山間組織の事務局も兼務中。
A.いざというとき まとまる
「どうじゃ森遺跡」から出土した遺物の一部が一関市日形市民センターに。カラフルな矢じりや土偶が目を引きます。
万国旗の印象が強いという昭和時代の集落一大イベント。仮装も種目の一つで「仮装大賞」があったとか!?(昭和52年)
中山間事業で行う圃場周辺の草刈りは、かなりハード。この日は13人が複数チームに分かれて作業を行いました。
自治会とは別組織で運営されるサロンは第3木曜日に開催。8月には集落の若い人たちと一緒に料理教室を楽しみました。