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文化年間に描かれた「男沢村」の絵地図※の小沼集落部分。15戸程の住居が確認できる。
※宮城県図書館所蔵『〔流十三ヶ村絵図〕のうち流男沢村絵図』
(idea 2022年6月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
行政区は「老松6区」。令和4年5月現在は9戸30人程が暮らすが、うち6戸が10月までに移転するため、間もなく3戸9人(+地区外居住の在籍者1戸3人)となる。老松の最南端で、永井地区(東永井)と隣接する。
「今年の10月までに移転しなければいけない家が6戸。他集落に移転完了しながら小沼に在籍している家が1戸あるけど、住居をここに構え続けるのは最終的に3戸だね」と、淡々と現実を語る集落公民館長の千葉充さん。自身は小沼集落に「残る」立場です。
金流川の下流に位置する花泉町老松の小沼集落は「北上川上流狭隘地区」にあり、 治水対策対象範囲に指定されています。かつて小沼集落における金流川は大きく蛇行しており(上の絵図参照。右側、途中で切れている川が北上川と合流)、北上川の増水時には逆流(背水)とともに遊水地帯と化していました。水位が下がっても最後まで沼のように水が残ってしまったことが「小沼」という地名の由来とも言われています。
昭和22・23年のカスリン・アイオン台風を機に当地域の各河川では河川改修が本格化しますが、老松―永井間の金流川でも昭和33年頃から旧中小河川改修事業が実施され、小沼を流れる大きく蛇行した部分は、昭和40年代にショートカットとなり、集落の風景は大きく変わりました。
「平成25年に胆沢ダムが完成してからは水害はほぼなくなりましたが、長年議員さんたちとも連携しながら陳情を続けてきたこともあって、最近になって急に移転が決まった。決まってから移転完了までの期間が短いので、移転する人たちは今大慌てで移転作業を進めていますよ」と、充さんが複雑な表情で語るように、念願の移転である一方、中高年世帯にとっては将来展望と向き合う必要性に迫られ、移転対象とならなかった家にとっては、単独集落として維持運営していくべきか否か、大きな岐路に立たされています。
文化年間の「男沢村」の絵地図にしっかりと描かれている小沼集落。川の流れは変わったものの、家の並びは大きく変化がないように見えます。
集落の歴史について充さんは、「家の後ろにそれぞれ旧墓がある家が多いが、我が家の旧墓を数えた限り、8代目以上なのは確か」と語りますが、集落内には太さ6mを超える「千年杉」と呼ばれる杉の老木があるなど、かなり古くから集落が形成されていた可能性も。区長の及川治雄さんは「北上川にほど近い小沼の林の中に、100基以上の旧墓があり、中世の舟運に関連したものではないか」とも推測します。
「先祖代々の土地を守るという一心で、耕作放棄地にせずに転作したり、人の居住していないエリアの県道も道路愛護として少ない人数での草刈りをしてきたが、今後は分からない。住居は移転しても、土地は残る。残る側の住人と管理契約をして転居する人もいるが、田畑の管理で精一杯で、道路や河川周辺の管理には限界がある」と、長年守り続けてきた土地・集落の今後が見えないのが現状です。
毎年元旦に新年会と抱き合わせて各種役員決めをしてきた同集落。10数戸の集落ですが、他の集落同等の役員推薦依頼があるため、一人3役は当たり前、多い時は7~8役を一人で担うこともあるとか。今後の世代のためにと、平成24年に老松公民館(当時)が作成した集落毎の地域づくり計画の中でも「地域内の役や組織の在り方の見直し」を謳ってきましたが、大きな改善のないまま、わずか3戸で他集落同等の役を担う時を迎えようとしています。
「同じ行政区の隣の集落(照盛)から集落再編の声もかけてもらったが、3戸だから役をこなせているという側面もある。隣の集落と一緒になると、徒歩では行くことのできない距離で広報物を回したり、集金が発生する。その負担を考えると、当面は3戸のまま単独集落とみなしてもらうのが現実的」という残された小沼集落住民の決断に、集落とは何かを考えさせられます。
今後の現実的な課題を伺うと、「まずはゴミ集積所。今の場所では利便性が悪い。そして道路愛護含めた景観・環境維持。ただでさえ不法投棄の多い場所なのに、移転後の空き家・空き小屋が残された状態が長く続けば、不法投棄や獣害が目に見える」と、小沼集落のみならず、中山間集落が今後向き合わなければいけない課題が急速にやってきたことがわかります。
約200年前の絵地図にも描かれた小沼集落の、変わらないもの、変えざるを得ないもの……。その「選択」は容易ではありません。
ちば みつる
千葉 充さん
2期3年目。小学生の頃は、洪水になると通学路の途中まで集落の大人が舟で迎えに来てくれ、家の裏に続く山の入口までは舟に乗り、山から家に帰ったのだとか!
A..自慢の無いのが自慢!
おいかわ はるお
及川 治雄さん
隣接する照盛集落在住。区長として、集落再編や役の持ち方などについて、今年6月から検討の場を設けていく準備を進めています。小沼に残る歴史文化の今後も気にかけています。
A.平泉文化の流れがありました。
安永風土記にも記載されている「沼神社」とその付近にそびえ立つ「千年杉」。集落を見渡せる山中にあります。
昭和40年以前には絵地図と同様の河川の流れが確認できますが、昭和40年代後半には大きく様変わり。※国土地理院地図より
老松みどりの郷協議会による集落懇談会の様子(令和2年度)。住民6人が参加し、集落の現状や課題を整理・共有しました。
地中からの冷たい風で摂氏7度を保つ「小沼風穴」。蚕種の貯蔵に用いられたもので、集落で保存整備を行いました。