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「日向みのる会」の忘年会の様子
(idea 2020年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
旧金成町(宮城県)との県境に位置する日向集落は3班20戸の小さな集落です。以前は隣の小山沢集落と一緒の行政区(8区)でしたが、地理的要因から分区し、20戸ながら8-2行政区となっています。集落公民館組織内には部会等はなく、役員や「日向みのる会」等集落内の各種組織の協力で事業を行っています。
20戸72人という小規模集落ながら40代以下の人口が33人(平成31年3月31日現在)という若者の多さに惹かれ、取材を申し込んだ花泉町花泉地区の「日向集落」。「確かに家督はほとんど残ってるけど、独身ばっかりだ」と苦笑いを見せるのは集落公民館長の阿部義勝さんです。
日向集落は舘前・境前・上原と3つの小字からなり、「日向」という地名はありません。同集落は「奈良坂地区」として地区体協や集落公民館連絡協議会を組織するなど、地区としての活動も活発な「旧奈良坂村」に属しており、「奈良坂村の中では日向に位置していた、というのが集落名の由来ではないか」と集落一の物知り・熊谷眞平さんは言います。眞平さんの熊谷家は20代目であり、奈良坂村は奥州藤原氏の荘園である「高倉荘園」の一部であったということで、歴史のある農村集落ということがわかります。現在も全戸が農家(兼業含む)という日向集落の、小規模だからこその活動の様子をお伺いしました。
※高森城や奈良坂城とも呼ばれる。
集落公民館活動を支えているのが「日向みのる会(以下みのる会)」という集落内の親睦組織です。かつてはお寺や神社の集まり、結としての農作業等、自然と住民同士の交流がありましたが、農作業の機械化、生活様式の変化などにより、昭和40年代には住民の集まる機会が減っていたという同集落。「嫁さんもらっても誰だかわかんない、ということが増えてきてね」と当時を振り返るのは、みのる会の立ち上げにも関わったという区長の及川敏行さんです。
昭和40年後半に青年会のような形で数人の有志で結成したという同会は、徐々に会員が増え、ほぼ全戸から会員が参加するような組織へと成長しました。
親睦活動を主とするみのる会は、4月の花見、7月の焼肉ビアパーティー、12月の忘年会のほか、3年に1回は改選を兼ねた1泊の旅行に出かけます。夫婦で会員になっている人が多いため、旅行も夫婦で参加する人が多数。これら行事の日程は2か月毎の定例会で調整します。
「会費徴収のための定例会だ」と阿部さんは笑いますが、現在でも18戸から約25人の会員がいるとのことで、みのる会の定例会が自然と集落にとっての交流・情報交換の場としても機能しているようです。
「集落公民館」としての活動がいつからだったか定かではないと言いますが、活動の拠点となる「日向集会所」は昭和58年に完成。集落民がお金を出し合い、町などの補助なしに建設しています。
これまで集落公民館としての活動は花壇整備(花いっぱい運動)や他団体主催事業への参加(スポーツ行事、地区事業、協働体事業)が主でしたが、今年新たに「収穫祭」をスタートさせました。「よそではやっているのに日向ではやらないのか」という声が集落内からあがり、検討はしていたものの、事業費の工面に悩み、すぐには実行できなかったのだとか。農家組合等いくつかの組織と調整を行い、今年ようやく開催できた収穫祭には、雨天にも関わらず31名が参加。もちつきをメインに老若男女が交流を楽しみました。
新たな事業にも取り組むなど、意欲的に活動をしているように見える同集落ですが「子どもが少ないので、子ども向けの事業をしてあげられないのが辛いところ。みのる会の事業にも家族で参加しても良いとは言っているが、会員制のために非会員は遠慮してしまう。若い人同士の交流にも結び付けられない」と、次世代の育成には苦戦している様子。せっかく残っている家督の若者たちをいかに取り込んでいくか、大きな課題だと言います。
とは言え、歴史ある集落への誇りからか、空き家(1軒あったが今年戻って来た)も耕作放棄地もゼロという同集落。奈良坂地区という補完組織(旧小学校区)での活動・交流もあるので、そうした枠組みでの若者の取り込みにも期待したいところ。
「みのる会で初めてやった野外炊飯はテーラー(耕運機)でカレーの材料を山に持っていったんだよ」と楽しそうに振り返るみなさん。次の世代が新たな親睦会を発足し、そうした想い出を作る日も遠くはないかもしれません。
あべ よしかつ
阿部義勝さん
3期6年目。副館長が館長にあがる慣例のため、副館長時代も合わせると10年以上集落公民館の運営に関わっています。みのる会には20代の頃から参加。
あべ なみこ
阿部なみ子さん
「私も家督だったの」と笑うなみ子さんは会計歴13年!環境整備等の各種作業不参加者へのお触書を作成するなど敏腕会計さん。みのる会にももちろん参加。
もちつきには子どもたちも参加。もちは5種類の味つけ(ふすべは肉・魚と2種類で作るというこだわり)で愉しみました。
協働体事業や地区敬老会での芸能発表には子どもたちも巻き込んで参加。若い世代の関心にもつなげています。
副館長が「花と泉の公園」の社長ということで、親睦行事には同園のオードブルが登場。集落民の勤め先は活用すべし!
高倉荘園の一部だった奈良坂では「奈良坂7軒(=奈良坂村は7戸から始まった)」という言葉が伝えられています。